FC2カウンター

プロフィール

§ともさん

Author:§ともさん
西南学院バプテスト教会で、2007年4月にバプテスマを受けたばかりの新米クリスチャン。
新米なのに「もうずーっといるみたいねー」と言われる。あれ?
現在、教会のホームページ管理委員と聖歌隊で奉仕中。

ねこと二人暮しをしています。名前はノアです。
のーたんと呼んでやってください。とんできます。

カレンダー

10 | 2009/11 | 12
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

リンク

最近の記事

カテゴリー

月別アーカイブ

最近のトラックバック

最近のコメント

ブログ内検索

RSSフィード

By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

Ads by Google

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

赦されることと赦すこと

こんばんは。

今日は、夜の7時半から夕礼拝。
新しくお見えになった方がいらっしゃいました。
若者がこの近辺で事故にあうことが多いので、そういったことが起こらないように祈りたいと思い、足を運んでくださったとのことでした。うれしかったです!

うちの教会は、西南学院大学の創立者であるC.K.ドージャー先生が、「イエス・キリストの福音を、西南学院の教職員・学生・生徒・園児に、また福岡市内に住む人々にお伝えするために」1922年(大正11年)に設立された教会です。
(大学は学校法人、教会は宗教法人なので、運営は全く別個です。)
ですからこうして、地域の方が訪れて下さると、本当に嬉しいです。

かく言う私は、最初は大学のチャペルに行ったのです。ほんとにフラリと。
ちょうど複雑な苦悩の中にあった頃で、心の深い部分で救いと赦しを求めていたのですね。
その時の説教に感銘を受けて、それを機会に教会の方へ通うようになりました。

私たちは、意識しているとしていないとに関わらず、様々な苦悩や怒りや妬みや嘲りを胸の内に抱えています。
私はそれ自体は悪いことではないと思っています。
人間ならば、状況に応じて様々な、ネガティブな感情が浮かぶのはごく自然なことです。

ですがそれは、表面的、一時的な「感情」に留めるべきだと思います。
心の深層に奥深く抱え込み、己の人格にまで取り込んでしまうべきではありません。
なぜなら「こんな自分には赦しなど及ばないのだ」という考えに、自分自身が囚われてしまうからです。
本当は強く濃く求めている赦しなのに、かえってそこから遠ざかる結果になってしまうからです。

「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」(エフェソの信徒への手紙 4:31〜5:1)

例え負の意識に支配されようと、私たちは本来的に赦されて在る人間です。
ただ目隠しされて、それに気付いていないだけで。
だから本当に強く赦しを求めれば、自然と負の束縛から逃れよう、本来的な姿に戻ろうとする心が働きます。
赦しを求めれば求める程、赦そうという心が強まります。
たわめられた枝が真っ直ぐに戻るように。そこに、神様が働かれているのです。
だから、もっと強く、もっと自由に存分に「赦し」を求めていいのではないでしょうか?

教会に通う前の私自身もまた、既にそこにある赦しから遠ざかっていた一人でした。
囚われの身であった私を、救ってくれたのが教会であり、赦してくださったのは神でした。

どうか、私たちの教会が多くの人たちにとって、その一助となる場所でありますように祈りたいと思います。

おしまい。

バランサーになろう

こんばんは。
今日は一日、英語礼拝のためのページの作成作業。ああ、肩こった。
外国人の方向けに、英語礼拝のページを英語で作ってほしいとの、リディア先生からのご依頼。
西南学院バプテスト教会では、月に2回(第1・第3日曜日)、バイブル・クラスと英語礼拝を行っています。英語に興味のある方はぜひ!

さて。

今日、「ともさんは日本社会で、価値観を押し付けられたり浅く考えることを強いられて閉塞感or疎外感を感じたことはありませんか? 」という質問を、知人から受けました。

おそらくどの社会、共同体においても、こういった経験をされる方は多いと思います。
私にも経験があります。
慣習的・暗黙的に形作られてきたルールを知らなかったために「貴方は素直じゃない」と決め付けられたり、上司との価値観の違いから仕事を干されたこともありました。

この相談を受けた時に思い浮かんだのは、この聖句でした。
「進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。進んで行う気持ちがあれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。他の人々に楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。」(コリントの信徒への手紙二 8:11〜14)

互いに価値観を押し付けあうことなく、常に深く話し合って事にあたることが出来れば、どんなに良いでしょうか。
でもお互い人間ですから、なかなかそう上手くは行きません。
相手から与えられたものは、自分もまた相手に与えているものだと、私は思います。
相手もまた、こちらとの価値観の違いから、閉塞感や孤独を感じることだってある筈なのです。

今出来ることは、自分が「相手に良かれ」と思って、進んで実行することだと思います。
その場では人間関係が上手く運ばないこともあるかもしれません。
問題の解決には至らないかもしれません。
でも、よく耳を澄ませて、状況を客観視していれば、きっと理解出来ると思います。
相手もまた、「貴方に良かれ」と思って、行動してくれている時もあるということを。

このことに気付いたならば貴方は、バランサーにもなれるのです。
一個の価値観しか持たないよりも、どれ程豊かな人間性であることでしょうか。
そんな貴方を見て、きっと周りも気付きます。
この人になら心を開いて、豊かな気持ちで接していけるということに。

人間関係は固定的なものではなく、流動的だからこそ素晴らしいのです。
彼を取り巻く状況が、より良い方向へと流れていくように、祈りたいと思います。

おしまい。

溺れることと足掻くこと

こんばんは。

今日はよく雨の降る福岡でした。
雨ってやつは、出掛ける用事がある時に限って降るものです。
基本足が自転車の私には厳しいお天気。

ところで私はmixiの方でも文章を書いているのですが、今日、ある方からこんな感じのコメントを頂きました。
「ともさんは前に向かって輝きながら歩いているなって、元気をもらいました。」

か、輝いてますか私。照れるなあ。

正直に申し上げますと、私は日々苦しみの中にあります。
ずーっと苦しいわけではないにしろ、何回かは苦しみの時が訪れます。
それは私に限った話ではないと思います。
多分多くの人が、日常の中で、そういう瞬間に見舞われていることでしょう。

だからその苦しみの時に、どういう「選択」をするかが大切になってきます。

「溺れる」と「足掻く」は、似ているようで違うと思います。
苦しみに溺れて沈むのもまた苦しく、苦しみから逃れようと足掻くのもまた苦しい。
でも、結末は異なると思うのです。

イエス様はこう仰いました。
「暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」(ヨハネによる福音書 12:35〜36)

ここで言う「光」とは、キリスト者にとっては主イエスそのものを指すのですが、一般的に言う「光」、渇望のその先にある希望、と読んでもよいかと私は思っています。

苦しみの内にあっても、輝くことは出来ると思います。
目を凝らして、光のある方へと歩み続ければいいのです。
その過程がきっと、人間の生き様としての輝きを生むのだと思います。
溺れるよりは足掻きたい。苦しいときこそ正念場、ピンチはチャンスです。

そう思って、毎日を一緒に頑張りましょう!

おしまい。

更新完了!

こんばんは。

原稿を全て受け取って、巻頭言の全ての更新を終えました!
長らくお待たせいたしました。
いやもうホント、もう二度とためない!(涙)
今後はちゃんと毎週更新しますので、今後の巻頭言をお楽しみに。

さて今日は水曜日。19:30からの祈祷会に行ってきました。
今日のテーマは「秋のキリスト教伝道集会を覚えて」。
西南学院バプテスト教会では、11月1日と2日に、太田愛人(あいと)先生をお招きしての、特別伝道集会を行います。
今、先生の著書「羊飼いの食卓」を読んでいますが、ユーモアに溢れていてなかなか面白いです。
先生に直接お会いして、お話が出来るチャンスです。
もしお時間がおありでしたら、是非教会でお会いしましょう!
詳しいご案内はこちらです!

今日の祈祷会には、西南学院高校野球部の皆さんが大勢来てくれて、とても賑やかで楽しい時間でした。
真っ黒に日焼けして、いがぐり頭。
元気一杯の彼らを見ていると、自然と
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」(コヘレトの言葉 12:1)
という聖句が心に浮かんできて、微笑が浮かびます。

私が彼らくらいの年齢の頃は、神様なんて目に見えないものは信じてなかった。
目に見えるもの、目の前にある楽しいことで毎日が一杯いっぱい。
でも、そんな時代にあっても、神様の存在に心を留める、そんなひと時を持つことが出来ていたら。
大人になってからの私は、随分違ったものになっていたように思います。

勉強も部活も、しっかりがんばってね。
神様はキミたちを、ちゃんと見守ってるよ。

おしまい!

とりあえず最新状態!

こんばんは。

今日は公約どおり、ホームページの更新作業。
からしだね(月間予定表)を最新に、あと巻頭言の原稿受領分(8月まで)を作成。
リンクを一件追加しました。

更新する前に、「このサイトが祝されますように。どうかこの奉仕があなたのお役に立てますように」と祈ります。
もし私がもっと若い頃、幼い頃にインターネットが普及していたら、ホームページを見て、もっと早く教会に来られていたかもしれないですよね。
ホームページを見て、「教会に行ってみよう」「教会で結婚式を挙げたい」と思う方が一人でも増えてくれたら、管理人冥利に尽きますし、何より「イエス様に仕えることが出来た」という実感が湧こうというものです。
うん、がんばろう。

更新作業の合間に、FEBC キリスト教インターネット放送局 で、英(はなぶさ)神父の「神との親しみを深めるために−祈りを身に付ける」を聞きました。
祈るということの根本について、平易な言葉と分かりやすいたとえを交えながら説教して下さっています。とても面白かった!次回が楽しみです。
FEBCは、ちょっと疲れた時や作業の合間に聞くと、癒されます。ありがたいサイトだなあ…。

さて、残りの原稿が送られてきたら、また更新しますね。
リディア先生に頼まれていた英語礼拝のページは…後日、がんばります。
今日はさすがに疲れちゃいました。
いやいや、そもそもためてた私が悪いんですよ。すみません!

それでは、また。

  【BACK TO HOME】  


PREV PAGE «  BLOG TOP  » NEXT PAGE