ちょっと間が空いてしまいました。
急に冷え込み始めましたね。秋の訪れも唐突なら、冬の訪れも唐突です。
でも冷え切ったきいんとした空気を、私は嫌いではありません。
人生の岐路というものも、唐突にやってきます。
私の前に、突然今とは違うもう一つの道が現れて、私はとても困ってしまいました。
人間的な視点で見た場合、どちらの道にもメリット、デメリットがあります。
それらを比較検討しているうちに、一体自分がどうしたいのかも、よく分からなくなってしまいました。
なので、ただ一心に祈りました。
神様、私はどちらの道を選択すればよいのでしょうか。
どうか私に、御心にかなう、進むべき方向を指し示し、導いてください。
迷う時に読む聖句があります。フィリピの信徒への手紙 4:11〜13です。
「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」
どのような状況にあっても、わたしは束縛から解き放たれて自由だ、それはわたしを強めてくださる主がいらっしゃるからだとパウロ先生は言います。
そう、私には主が傍にいらっしゃる。きっと天からこの岐路を見下ろし、私がより自由に伸びやかに生きられるよう、道を備えてくださるに違いない、そう信じて祈りました。
色々な方から、数々の有益な助言を頂きました。
それらは全て私の心に響き、ぽつりぽつりと雨だれのように落ちては染み渡るにつれて、乱れていた私の心は次第に落ち着きを取り戻し、そして静かに、今回関わって下さった多くの人たちへの感謝と共に、一つの道を選び取ることが出来ました。
自分も、そして関わって下さった誰もが納得する形で。
本当に求めているものを素直に心から差し出せば、それは必ず与えられます。
どれだけ自分が本当にそれを求めているか。喉から手が出る程、渇きの中で水を求めるように。
「祈り」は、必ずしも、綺麗にまとまった美しい言葉で奏でる必要はないと思います。
自分がどうしたら良いのか分からない時は「どうすれば良いのか教えてください」と祈ればよいのです。
ただ、ひたすらに。
その声を必ず神様は聞き届け、適切な時期に、適切な方法でもって、私たちに与えてくださいます。
そのことを心から信じ、神様へ全幅の信頼を寄せる。
それが、キリスト者のキリスト者たるゆえんだと思います。
私は今回、このような試練を与えられたことをまず、神様に感謝したいと思います。
この試練によって私は、心の芯が揺るがないように強められ、以前よりもっと自由に生きられるようになったからです。
今日、迷いの中に在る人々の心に平安が訪れ、その中でより伸びやかに生きられる道への気付きを得ることが出来ますように。
主があなたと共におられ、あなたを強め、進むべき道を指し示して下さいますように。
そう祈りたいと思います。
おしまい。
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