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§ともさん

Author:§ともさん
西南学院バプテスト教会で、2007年4月にバプテスマを受けたばかりの新米クリスチャン。
教会のホームページ管理委員と聖歌隊で奉仕中。

現在、夫とねことねずみの4人暮らし。
よたよたと専業主婦をしています。

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教会堂感謝礼拝

こんにちは。

トップページ、巻頭言、からしだね、リンク集を更新しました。
現教会堂での礼拝は14日が最終で、21日より大学チャペル(現教会堂の斜め前にあります)に移動になります。
それに伴い、時刻も変わります。10時半からです。
お間違えの無いようにお越しください。

さて、8月7日は、教会堂感謝礼拝を守りました。

最終の14日は、わたしは夫の家の墓参りという行事がありまして(お盆ですもんね)、来られません。
だから、「これが最後なんだ」と思うと、さみしくて…。
礼拝が終わって主の晩餐式では、パンとぶどう酒はいつもより甘く感じられたし、その後の軽食コーナーでのお昼ごはんでも、礼拝堂に座って「ここでちらしずし食べるのもう最後なんだ…」としんみりしていました。

ところで、うちの夫はノンクリスチャンです。
平日は身を粉にして働いているので、疲れもピークの日曜日に、朝から礼拝に行くなんて…見当もつかない世界のようです。
我が家は教会から少々離れてもいるし、主婦も結構忙しいですからね。
わたしだって、「まるで疲れない」わけではないのです。
暑い中礼拝から帰ってきて、ぐったりしていると、
「どうして疲れるのにわざわざ行くの?」
と不思議そうに聞かれます。

それでも、日曜日の朝、礼拝に行くための時間をとり、体力を使って教会に行くことを、厭うことはやはりないのです。
「教会堂は、神様と向かい合い、神様の恵みと慈しみを思い起こすための場所」だと、踊先生は語られました。
全くそうだと思います。だってホントに、まさにそのために行くのですから。
過ぎた一週間を思い起こして、赦しを乞い、憐れみを乞い、恵みに感謝し、未知なる新しい一週間の扉をまた開くための、大切な場所と時間。

いつもそうやって、わたしたちを迎え入れてくれた教会堂。
「感謝」の一言に尽きます。
56年間、お疲れさま。そして、本当にありがとう。
前庭から振り返り、その白いどっしりとした姿をしっかり心に焼きつけて、教会堂を後にしたのでした。

オルガン感謝の集い

こんにちは。
トップページと巻頭言を更新しました。

トップページには、先日のオルガン感謝の集いの写真と、読売新聞オンラインの動画ニュースへのリンクを貼り付けてあります。
わたしは7月24日(日)の集いに参加。大変祝された集いでした。
大勢の来会者に見守られ、うちのおじいちゃんパイプオルガンも、優しい暖かい音色で答えます。

わたしは聖歌隊にも属しており、聖歌隊席は二階にあります。
今回は一階で、皆さんと並んで聴きましたが、一階と二階では音の聴こえ方がかなり違うのですね。
二階だと音は大きく、重い感じに聞こえますが、一階だと礼拝堂全体に反響して、もっと優しくふんわりした感じに聴こえます。
バッハのアリア ニ長調、音に包まれて気持ちよくて、思わず寝てしまいそうでした(笑)。

そして二階席、高い!
普段は礼拝堂の椅子は当然、講壇の方を向いて並んでいますが、今回は後ろ向きにして、二階席にあるパイプオルガンを見えるように並べました。
下から結構、よく見渡せるんですね、二階席。
うっかりぼけーっとしてるとバレバレですね(笑)。

このオルガンと別れるのは、さみしいなあと思いました。
でもまだ見ぬ新しいオルガンも、わたしたちとの出会いをきっと、楽しみに待っていることでしょう。
それに、オルガンの木管の一部は、新しいオルガンに再利用されます。
だから、完全なお別れじゃないのだから…。

いつまでも一緒だから。
オルガンが、そう語りかけてくれているような、そんなひと時でした。

幸いへと至る道

こんにちは。
台風が接近してきました。外は強い風が吹いています。
表を歩かれるときはご注意ください。

今日は、トップページの「聖書に親しむ会」のお知らせと、巻頭言を二週分更新しました。
聖書に親しむ会のお知らせは、教会堂建築に伴い、今後変更の可能性もあります。またトップページのお知らせをご覧ください。

今週の日曜日の説教は、詩編第一編を取り上げ、「流れのほとりの木のように」という主題で、踊先生が御言葉を取り次がれました。

私たちが日頃感じる「幸せ」…。
私たちはどんな時に、幸せだと感じるでしょうか。
私たちが幸せだと感じる時、そこに神様への心からの信頼と感謝が介在しているでしょうか。

人の心は、もろいものです。
ちょっとしたことでプラスに振れた心が、次の瞬間にはマイナスに大逆転してしまったり。
時に、他人の不幸を目の当たりにすることで、それと比較して自分の幸せを喜んでみたり。
幸せの基準は、一体どこにあるでしょう。

「神の愛を信じることを、疎かにしてはなりません」と、最後に踊先生は仰いました。

「いつも、どんな時も、こんな私のことも、神様は愛していて下さる」という心からの信頼。
神の愛に依り頼む時、何が自分にとって幸せなのか、神様ははっきりと私たちに示して下さるのではないかと思います。
その幸せは、ゆるがない。
流れのほとりの木のように、しっかりと生き生きと立つことが出来るのではないかと思います。

心が不安にさいなまれる時、孤独でわけもなく泣きたくなる時、思い出してほしい、と思います。
神様の大いなる愛を。
あなたのために祈りを捧げる、信仰の仲間がいることを。
どうかあなたが、神様に導かれ、幸いへと至る道を歩むことが出来るよう、祈ります。

オルガン感謝の集い日時 お詫びと訂正

主の御名を讃美します。
お久しぶりです。このブログ、ずっと放置したままで済みません。

久しぶりの更新がお詫びと訂正というのも情けない話ですが、
HPトップページに掲載しました「オルガン感謝の集い」、日程が間違っておりました。
ご指摘いただき、ありがとうございます。修正いたしました。

第2回 (誤)7月23日(日)午後1時→(正)7月24日(日)午後1時

教会堂建築に伴い、パイプオルガンも新しいものに生まれ変わります。
私たちと共に、48年の長きを歩んできたオルガンと親しむ時間を、共に持ちませんか?
とっても優しいおじいちゃんですよ(笑)。
どなたでもご自由においでください。お待ちしています。

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オルガン感謝の集い(2回)
■第1回
日時 7月23日(土)夕礼拝(19:30〜21:00)於オルガン・聖歌隊室
内容 オルガン演奏(踊姉、石橋姉各1曲)、オルガンの思い出(古澤先生)
   短い説教(踊牧師)、献金(オルガンのために)、録音、記念撮影

■第2回
日時 7月24日(日)礼拝後(13:00〜14:30)於礼拝堂(会衆)
内容 司会 西条昌雄執事(音楽委員長)、オルガン演奏(古澤先生、古澤夫人)
   オルガンの思い出(古澤先生)、短い説教(踊牧師)、献金(オルガンのために)
   録音、記念撮影

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今日はずいぶん雨が降っています。
晴れも良し、雨もまた良しです。
午前の第一祈祷会へ行ってきました。
週の半ばに集まって、皆で祈りを合わせるひと時を持ちます。

「神の掟は、決して私たちを束縛するものではない。私たちを自由にし、幸せにしてくれるものなのだ」という、踊先生の言葉を胸に刻みました。
イエス様の教えは窮屈なものではなく、従うと共に自然と心の傷は癒され、鳥が空を自由に飛翔するように、私たちの魂を解き放ってくれます。
聖書は、私たち人間に与えられた、翼のようなものなのかもしれませんね。

第一祈祷会は、水曜日の午前10時半から12時まで。
踊先生のお話、お祈り、その後はお茶の時間を楽しんでいます。
十数名の小さな集まりです。
聖書の御言葉に触れるひと時を一緒に過ごしませんか?
どなたでもご自由においで下さい。

残りの半週も、御言葉に従って歩もうと思います。
皆様もどうぞ、健康に気を付けて、お元気でお過ごしくださいね。

人生の岐路

ちょっと間が空いてしまいました。
急に冷え込み始めましたね。秋の訪れも唐突なら、冬の訪れも唐突です。
でも冷え切ったきいんとした空気を、私は嫌いではありません。

人生の岐路というものも、唐突にやってきます。

私の前に、突然今とは違うもう一つの道が現れて、私はとても困ってしまいました。
人間的な視点で見た場合、どちらの道にもメリット、デメリットがあります。
それらを比較検討しているうちに、一体自分がどうしたいのかも、よく分からなくなってしまいました。

なので、ただ一心に祈りました。
神様、私はどちらの道を選択すればよいのでしょうか。
どうか私に、御心にかなう、進むべき方向を指し示し、導いてください。

迷う時に読む聖句があります。フィリピの信徒への手紙 4:11〜13です。

「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」

どのような状況にあっても、わたしは束縛から解き放たれて自由だ、それはわたしを強めてくださる主がいらっしゃるからだとパウロ先生は言います。
そう、私には主が傍にいらっしゃる。きっと天からこの岐路を見下ろし、私がより自由に伸びやかに生きられるよう、道を備えてくださるに違いない、そう信じて祈りました。

色々な方から、数々の有益な助言を頂きました。
それらは全て私の心に響き、ぽつりぽつりと雨だれのように落ちては染み渡るにつれて、乱れていた私の心は次第に落ち着きを取り戻し、そして静かに、今回関わって下さった多くの人たちへの感謝と共に、一つの道を選び取ることが出来ました。
自分も、そして関わって下さった誰もが納得する形で。

本当に求めているものを素直に心から差し出せば、それは必ず与えられます。
どれだけ自分が本当にそれを求めているか。喉から手が出る程、渇きの中で水を求めるように。
「祈り」は、必ずしも、綺麗にまとまった美しい言葉で奏でる必要はないと思います。
自分がどうしたら良いのか分からない時は「どうすれば良いのか教えてください」と祈ればよいのです。
ただ、ひたすらに。

その声を必ず神様は聞き届け、適切な時期に、適切な方法でもって、私たちに与えてくださいます。
そのことを心から信じ、神様へ全幅の信頼を寄せる。
それが、キリスト者のキリスト者たるゆえんだと思います。

私は今回、このような試練を与えられたことをまず、神様に感謝したいと思います。
この試練によって私は、心の芯が揺るがないように強められ、以前よりもっと自由に生きられるようになったからです。

今日、迷いの中に在る人々の心に平安が訪れ、その中でより伸びやかに生きられる道への気付きを得ることが出来ますように。
主があなたと共におられ、あなたを強め、進むべき道を指し示して下さいますように。
そう祈りたいと思います。

おしまい。

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